唐朝对日本的影响分析_日语论文.doc

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要旨:今の日本は経済であれ文化であれ政治であれ、世界に影響を持つ先進国である。特に、先進的科学技術と管理経験などのすぐれた方法が、中国を含め多くの国に学ばれている。この強大な国家がかつて唐時代政治、文化、経済及び法律を学びに中国へ遣唐使を派遣していたのである。唐代の中国は当時の先進国として、政治、経済、文化、仏教などいろいろな分野で、最も盛えていた。当時、開放的な対外政策により、海外貿易も大いに促進されていた。唐の文化を学び、それを取り入れる目的で、西暦紀元630年から、894年まで、およそ260年間相次いで、遣唐使が19回計画されたが、確実に12回は実際に遣唐使が唐の国へ渡っている。その中でも、吉備真備、最澄、空海、円仁などの人は帰国してから、積極的に日本全国に唐の文化を広めた。

隋から唐代にかけて、中国の国家制度は日本古代律令制度の手本になった。唐による影響をうけた日本の律令は大宝律令も養老律令もある。大宝令は永徽令を手本とする。唐の諸制度や文化に通じた留学生・留学僧は、日本の律令国家を整備する上で不可欠である。

最澄は804年に遣唐使にしたがって唐にわたり,天台宗の教えを受けて,帰国した後、日本で,天台宗*という新しい宗派を興した。空海は774年、留学僧として入唐した。恵果の教えを受け、真言の秘義を会得した。帰国して、密教の布教活動を行い。822年、東大寺に灌頂道場(真言院)を建立した。鑑真も中日両国の仏教交流に大いに寄与しただけでなく、建築、彫刻、文学、医学の面での交流にも力を尽くした。

唐時代、遣唐使は中国から文化,芸術,法律,制度などをもたらしたが、服装の上でも、日本は唐による大きな影響を受けた。この時代に、下着としての小袖が唐より伝わってきたのである。

囲碁は唐から日本へ伝来して、今、日本は世界で、ほかの国に追随を許さないほど囲碁の強国である。

現在、反対に、ちょうど中国は唐時代の日本のように、日本から学ばなければならないものがある。経済の上では、中日両国はますますお互いを必要としているのだ。両国の経済の連携のためには、平和な政治環境も必要である。

『唐の日本への影響』というテーマの研究がさらに深まり、中国と日本の友好がさらに発展することを願う。

キイワード:遣唐使、中日友好、唐の影響、律令制度、宗教、和服と囲碁

 

中文摘要:今天的日本无论在文化还是政治上,都是对世界颇有影响力的大国。特别是其先进的科学技术及管理经验,正被包括中国在内的许多国家所学习。就是这样一个大国也曾经为了学习先进的政治、经济、文化向大唐派遣了大使。的确当时的中国在政治、经济、文化等领域高度发达。而且由于采取了对外开放的政策,也促进了海外贸易。

公元630开始,以学习唐文化为目的,日本相继计划向中国的大唐派遣19次的大使,但实际到达中国的只有12次。这其中包括吉备真备、最澄、空海、元仁等人,他们回国后,对唐文化在日本的传播起了积极的作用。在法令方面,唐代的法令成了日本法令的范本。这其中大宝令和养老令等受中国影响很大。大宝令是以唐时的永徽令为模本的。遣唐使对于日本法令国家的形成,以及发展起到了不可估量的作用。在宗教方面,最澄在中国受到天台宗的影响,学成回国后,在日本创立了新的天台教。

空海作为留学僧入唐,领悟了真言的意义,回国后,致力于密教的传播,随后,在东大寺建立了灌顶的道场。鉴真也对中日两国的佛教交流贡献很大,另外,他也促进了中日建筑、雕刻、文学、医学的友好交流。隋唐时还把中国的服装带到了日本,当时流行的收口裤就是从唐传去的。围棋也是从中国唐代传到日本的,但现在日本已经成了世界上别国所无法匹敌的围棋强国。

遣唐使把灿烂的唐文化带回了日本,同时也促进了中日的友好交流。现在,相反的,我们中国有必要多多学习日本的先进文化。中日一直以来在经济上是相互依赖的,所以为了中日两国的发展,和平的政治环境是不可缺少的。

笔者以《唐代对日本的影响》为题,也希望两国可以求同存异,互通有无,使得中日友好交流更上新台阶。

关键字:遣唐使、中日友好、唐的影响、律令、宗教、和服和围棋